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へブル人への手紙

へブル人への手紙 の紹介

の紹介

ヘブル人とはユダヤ人のことです。ユダヤ人は、神殿をとても重要なものと考えていました。神殿ではいつも、いろいろな宗教儀式が行われ、事あるごとに動物の犠牲がささげられていました。クリスチャンになっても、ユダヤ人が神殿での儀式を熱心に守る習慣は変わりませんでした。このような人々に、ほんとうに大切なのは儀式を守ることではなく、罪の身代わりとなって死んでくださったキリストを信じることだと、この手紙は教えています。

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へブル人への手紙

へブル人への手紙 1

御子と天使

1 神は昔、幻や夢や、時には直接の啓示などいろいろな方法で、預言者を通してご自分の計画を少しずつ明らかになさいました。

2 しかし今の時代には、ご自分の御子(イエス・キリスト)を通して語っておられます。神は、彼によって世界とその中のすべてのものをお造りになり、その御子にすべてを受け継がせたのです。

3 御子は神の栄光を受けて、まばゆいばかりに輝いています。また、その人格と行動すべてにおいて神であることを示し、力あることばによって万物を治めておられます。そればかりか、私たちのすべての罪の記録を消し去ってきよめるために死んでくださいました。そして今は、最高の栄誉を受けて、天におられる偉大な神のそばにいらっしゃるのです。

4 こうして、父なる神がお与えになった「神の御子」という名が、天使たちの名よりさらにすぐれていたように、この方は天使よりもはるかにまさった存在となりました。

5 神はどの天使に対しても、「あなたはわたしの子。今日、わたしがあなたを生んだ」(詩篇2・7)などと言われたことはありません。しかし、イエスに対しては、そう言われたのです。さらに、「わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる」(Ⅱサムエル7・14)と宣言されました。

6 それから、長子であるイエスを地上に送る時、「天使はみな、彼を拝め」と言われました。

7 天使たちについて神は、「風のように速い使者、燃える炎のような力を持つしもべ」(詩篇114・4)と紹介しましたが、

8 御子についてはこう言われました。

「神(神の子)よ。あなたの国は永遠に続く。

その支配は、いつも公平で正しい。

9 あなたは正義を愛し、悪を憎む。

それであなたの神(父なる神)は、

ほかのだれよりも多く、

あなたに喜びを注がれた。」(詩篇45・6-7)

10 また、御子を「主」と呼んで、こう言われました。

「主よ。あなたは世の初めに地を造った。

天も、あなたの手による作品である。

11 これらは、やがて無に返る。

しかしあなたは、いつまでも変わらない。

すべてのものは、古着のようにすり切れる。

12 いつかあなたは、それらを捨て、

別のものと取り替える。

しかしあなたは、決して変わらず、

あなたの年には終わりがない。」(詩篇102・25―27)

13 神が天使に、次のようなことばをおかけになったことがありますか。

「わたしがあなたの敵を

完全に征服するまで、

わたしの右に座っていなさい。」(詩篇110・1)

14 天使は、救われる人々を助けるために遣わされた、霊の使者なのです。

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へブル人への手紙

へブル人への手紙 2

イエスの死は私たちのため

1 ですから私たちは、すでに聞いたことを、ますますしっかり心にとめなければなりません。そうでないと、真理から離れて漂流することになります。

2 天使のことばでさえいつも真理と認められ、そのことばに従わない人は罰せられました。

3 そうであれば、主イエスご自身の口から語られ、それを聞いた人たちが伝えたこのすばらしい救いの教えを無視したなら、どうして罰を逃れることができるでしょう。

4 神は、この救いのことばの真実を、多くのしるしと不思議と奇跡によって示し、聖霊が信じる者に与えてくださる賜物によって、はっきり証明されました。神は、この賜物を私たち一人一人に下さったのです。

5 私たちがいま話している未来の世界は、天使が支配する世界ではありません。

6 なぜなら、ダビデは神にこう語りかけているからです。

「あなたが、

こんなにも大きな関心をお寄せになる人間とは、

いったい何者でしょう。

こんなにも高い栄誉をお与えになった人の子とは、

いったいどなたでしょう。

7 あなたはその方を、しばらくの間、

天使よりも低いものとしましたが、

今は、栄光と誉れの冠をお授けになり、

8 この世に存在するものすべてを支配する権威を

お与えになったのです。」(詩篇8・4-6)

その支配を逃れるものは何一つありません。私たちはまだ、このことばの完全な実現を見てはいません。

9 しかし、しばらくの間、天使よりも低くされ、私たちのために死の苦しみを味わうことによって、栄光と誉れの冠を受けられたイエスを見ています。イエスは、神の大いなる恵みのゆえに全人類のために死なれたのです。

10 すべてのものをお造りになった神が、ご自分を信じる者たちを栄光ある天まで引き上げるためにイエスを苦しみに会わせられたのは、まことに正しいことでした。イエスはこの苦しみをくぐり抜けて、人々を救いに導くにふさわしい方となられたのです。

11 イエスによってきよめられた私たちは、今では、イエスと同じ父(神)を持っています。だからこそイエスは、私たちを兄弟と呼ぶことを恥とはなさらないのです。

12 イエスは、こう言っておられます。「わたしは、父なる神のことを兄弟たちに語ろう。そして、声を合わせて神を賛美しよう。」(詩篇22・22)

13 また、「兄弟たちと共に、神を信じよう」とも、「さあ、わたしはここにいる。神が与えてくださった子どもたちといっしょに」(イザヤ8・17-18)とも述べています。

14 神の子どもである私たちは、血も肉もある人間です。そこでイエスも、血肉を持った人間の姿でお生まれになりました。それは人間として死ぬことにより、死の権力をふるう悪魔の力を打ち砕くためです。

15 これだけが、一生涯死の恐怖の奴隷となっている人間を救い出す方法だったのです。

16 私たちは、イエスが天使としてではなく、一人の人間、一人のユダヤ人として来られたことを知っています。

17 イエスは、あらゆる点で、兄弟である私たちと同じになることが必要だったのです。そうして初めて、イエスは、私たちにとってはあわれみ深く、神にとっては忠実な大祭司として、私たちの罪を取り除くことができたのです。

18 自ら試練と非常な苦しみを体験された主イエスだからこそ、試練にあえいでいる私たちを助けることがおできになるのです。

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へブル人への手紙 3

キリストの声を聞きなさい

1 そういうわけですから、神によって天国の市民として選び出された、愛する皆さん。お願いです。どうか、私たちが告白する信仰の使徒であり、大祭司であるイエスに目をとめてください。

2 「神の家」で忠実に奉仕したモーセと同じように、イエスも、大祭司としてご自分を任命された神に忠実な方です。

3 しかしイエスは、モーセよりはるかにまさった栄光をお受けになりました。豪華な家よりも、その家を建てる人のほうが賞賛されるのです。

4 家を建てる人はたくさんいますが、世界のすべてのものを造られたのは神です。

5 確かにモーセは、神の家のために賞賛に値する仕事をしましたが、モーセの果たした役割は後に起こることを指し示すことでした。

6 しかし、キリストは神の忠実な御子として、神の家のいっさいを治められるのです。もし、最後まで揺るがない確信を持ち続け、喜びと主への信頼を失わなければ、私たちも神の家となるのです。そして、神がそこに住んでくださるのです。

7-8 ですから、聖霊はこう警告します。キリストの声に注意深く耳を傾けなさい。今日その声を聞いたら、昔のイスラエル人のように心を閉ざしてはいけません。彼らは荒野で試練を与えられた時、神の愛にそむき、心を鋼鉄のように固くして、文句を言い続けたのです。

9 彼らは何度も反抗しましたが、四十年の間、神は忍耐され、彼らの目の前で驚くべき奇跡を行い続けてくださいました。

10 しかし、とうとう神がこう宣言される時が来たのです。「わたしの怒りは極に達した。彼らはわたしに心を向けたことがなく、いつもほかを見ていた。そんな彼らに、わたしの用意した道が見いだせるはずがない。」

11 神は怒りをもって、決して彼らを安息(神による休息)の地に導かないと誓われました(詩篇95・7-11)。

神に心を閉ざさないために

12 皆さん。心が悪に染まって信仰をなくし、生ける神から離れることがないように、自分の心を見張りなさい。

13 まだ時間があるうちに、日々、互いにこのことを確かめ合いなさい。そうすれば、罪に惑わされて神に心を閉ざす人は一人も出ないでしょう。

14 もし私たちが、初めてキリストを信じた時と同じ気持ちで神に信頼し、最後まで忠実であれば、キリストにある祝福を受けることができるのです。

15 ですから、今この時がかんじんなのです。次の警告を、片時も忘れてはなりません。「今日、語られる神の声を聞いたなら、神の怒りを招いた時のように、心をかたくなにしてはいけない。」(詩篇)

16 神の声を聞きながら反抗した人たちとは、いったいだれでしょう。指導者モーセに率いられてエジプトを出たイスラエル人すべてです。

17 四十年もの間、神の怒りを買ったのは、いったいだれでしたか。罪のために荒野で死に果てた、あのイスラエル人ではありませんか。

18 神が誓って約束の地に入らせないと断言されたのは、だれに対してでしたか。従うことを拒んだ、あの人たち全員です。

19 彼らが約束の地に入れなかったのは、神を信頼しなかったからです。

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へブル人への手紙 4

新しい安息の地に入る希望

1 とはいえ、神の安息に入れるという約束は今も有効なのですから、あなたがたの中で万が一にも入りそこなう者が出ないように、心しようではありませんか。

2 モーセの時代の人たちと同様、私たちにも、救いをもたらす福音が伝えられているからです。ところが、モーセの時代の人たちには、そのことばは何の役にも立ちませんでした。彼らは聞いても信じなかったからです。

3 安息に入れるのは、神を信じる私たちだけです。

神は、「わたしは怒りをもって誓う。わたしを信じない者を決して入らせない」(詩篇95・11)とも言われました。

4 私たちは、神が準備万端ととのえて、待っておられたのを知っています。「神は創造の七日目に、計画どおりにすべてをなし終えて休まれた」(創世2・2)とあります。

5 にもかかわらず、彼らは閉め出されてしまいました。ここでは、「彼らを決してわたしの安息に入れない」と言われているのです。

6 しかし、安息の地への約束はまだ有効であり、そこに入ることが許されている人がいます。それは、不従順のため、最初に与えられた機会を失った人たちではありません。

7 神は、新しい機会を与えてくださいました。それが今なのです。最初の人たちの失敗の後、長い年月が過ぎたころ、神はダビデ王を通してこのことを知らせてくださいました。「今日、語りかけられる神の声を聞いたなら、心をかたくなにしてはいけない」と。

8 ここでの新しい安息の地とは、ヨシュアに率いられて入ったカナンの地(現在のパレスチナ)ではありません。もしそうなら、ずっとあとになって、今日がそこに入る時だなどと言われるはずがないからです。

9 そういうわけで、完全な安息が今なお、神を信じる人たちに備えられているのです。

10 キリストは、もうすでにそこにお入りになりました。神が創造の働きを終えて休まれたように、キリストも任務を果たして、安息の中におられるのです。

11 ですから私たちも、この安息の地に入れるように最善を尽くしましょう。イスラエルの人たちが神に不従順であったために入りそこねたことを、肝に銘じようではありませんか。

12 神のことばは生きていて、力があります。それは鋭い刃のように切れ味がよく、心の奥深くに潜んでいる思いや欲望にまでメスを入れ、私たちの赤裸々な姿をさらけ出します。

13 神は、人がどこにいようと、すべての人の心を見抜かれるお方です。神に造られたもので、神の目から隠れおおせるものは一つもありません。今も生きて、すべてを見抜かれる神の前に、私たちは裸のままさらけ出されているのです。私たちはこの方に対して、自分のなしたすべてのことを弁明しなければなりません。

偉大な大祭司イエス

14 しかし、私たちを助けるために天にのぼられた偉大な大祭司、神の子イエスが味方になってくださるのですから、私たちの告白する信仰を決して失うことがないようにしましょう。

15 この大祭司は私たちと同じ試練に会われたので、人間の弱さをよく知っておられ、ただの一度も、誘惑に負けて罪を犯したことはありません。

16 ですから躊躇せず、神の御座に近づいてあわれみを受け、時にかなって与えられる恵みをいただこうではありませんか。

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へブル人への手紙 5

1-3 ユダヤの大祭司は、人々の代表として供え物をささげ、神に仕えます。しかし、大祭司であっても同じ人間なので、人々のためだけでなく、自分の罪が取り除かれるためにもいけにえの動物の血をささげるのです。また、彼自身も弱さを身にまとっているので、無知な人や迷っている人を思いやることができるのです。

4 もう一つ、大祭司について言えるのは、自分の意志では大祭司になれないということです。アロンが選ばれた時のように、大祭司となる者は、神から直接、その務めに任命される必要があります。

5 キリストも名誉ある大祭司の地位につかれましたが、自分のご意志でそうなさったのではありません。神がお選びになったのです。神はこの方に、「わが子よ。今日、わたしはあなたを生んだ」(詩篇2・7)と言われました。

6 またさらに、「あなたは、メルキゼデク(アブラハムの時代、サレムの王であり祭司であった人物。永遠の大祭司の型)と同じ位にある、永遠の祭司に選ばれた」(詩篇110・4)と告げました。

7 キリストはこの地上におられた時、死から救うことのできるただひとりの方に、うめきと涙とをもって祈られました。この祈りは、どんな場合にも神に従おうとする、キリストの謙遜で切なる願いのゆえに聞き入れられたのです。

8 イエスは神の子であるのに、神に従うことには多くの苦しみが伴うことを身をもって学ばれました。

9 この経験を通してご自分の完全さを実証し、その上で、ご自分に従うすべての人に永遠の救いを与える者となられたのです。

10 神がキリストを、メルキゼデクと同じ位に立つ大祭司としてお選びになったことを思い起こしてください。

初歩の教えを卒業しましょう

11 このことについて、まだまだ話し足りませんが、聞く意思がないあなたがたに理解してもらうのは困難です。

12-13 あなたがたは、もう長い間、クリスチャンとして生きてきました。ほかの人を教えても当然なのに、もう一度、神のことばのイロハから手ほどきしてもらわなければならないほどになっています。固形物を食べるまでには成長せずに、いつもミルクばかり飲んでいる赤ん坊のようです。クリスチャン生活のごく初歩の段階を行ったり来たりして、善悪の区別さえおぼつかない状態なのです。

14 あなたがたがもっと成長し、正しい行いが伴って、善悪の区別がつくようになるまでは、堅い霊の食べ物をとることも、神のことばの深い意味を悟ることもむりでしょう。

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へブル人への手紙

へブル人への手紙 6

1 ですから、キリストについての初歩の教えをいつまでも卒業できずに、堂々巡りをするのはやめましょう。もっと理解力を高め、成熟を目指して進みましょう。行いによって救われようとするまちがいや、神を信じる信仰の必要性などを、これ以上聞くには及びません。

2 バプテスマ(洗礼)、聖霊を受けること、死者の復活、永遠のさばきについても、これ以上教えられる必要はないでしょう。

3 主のお許しがあるなら、次の段階に進もうではありませんか。

取り返しのつかない裏切り

4-6 あなたがたが、いったん福音(イエス・キリストによる救いの知らせ)の光に浴し、天からの恵みを味わい、聖霊をいただく特権を与えられ、また、神のすばらしいことばと来るべき世界の力を知った上で、なお神に背を向けるとしたら、もう主に立ち返ることはできません。それは、神のひとり子をもう一度十字架につけ、人前でさらしものにすることだからです。そんな人は、もはや悔い改めようがありません。

7 十分に雨を吸い込んでよく潤った畑が、農夫に大豊作をもたらしたとしたら、その畑は神の祝福をむだにしなかったことになります。

8 しかし、いばらやあざみばかりを生えさせるなら、その畑は役立たずとして焼き払われてしまいます。

9 愛する皆さん。私の言ったことすべてが、あなたがたに当てはまるわけではないでしょう。私は、あなたがたがキリストの救いにふさわしい実を結んでいるものと確信しています。

10 神は、決して不公平な方ではありません。あなたがたが神のために熱心に働いてきたことや、同胞にずっと援助の手を差し伸べてきた愛をお忘れにはなっていません。

11 私たちは、あなたがたがこの世にあるかぎり人を愛し続けて、十分な報いを受けることができるようにと願っています。

12 最後まで希望を持ち続けるなら、信仰生活が怠惰に流れたり、無関心に陥ったりすることはありません。信仰と忍耐によって、神の約束なさったものを受け継ぐ人たちにならう者となってください。

確かな神の約束

13 アブラハムに与えられた約束を覚えていますか。神は、自分以上にすぐれた存在はありえないので、ご自分の名を指して誓われました。

14 幾度もアブラハムを祝福し、多くの子孫を与え、偉大な国民の父とすると言われたのです。

15 そこでアブラハムは、その約束を忍耐して待ち望み、ついに約束のものを手にしました。

16 人は何かを約束する時、それを必ず実行する意志と、万一破った時にはどんな罰をも受ける覚悟を示すために、自分よりもすぐれた者の名にかけて誓います。いったん誓ってしまえば、もうだれも、何も言うことはできません。

17 そういうわけで、神からの助けを約束された人たちがその約束の絶対的な確かさを知り、神の計画が変わらないことを確信するために、神も誓いによって約束の確かさを保証されたのです。

18 神は、約束と誓いの両方を与えてくださいました。神は偽りを言われることがありません。そのため、救いを求めて神のもとに逃れて来る人たちは、確かな保証をいただいて、新たな勇気を奮い起こすことができます。そして、神の救いの約束を、少しの疑いもなく確信できるのです。

19 自分は必ず救われるという確かな望みは、私たちのたましいにとって、信頼できる不動の錨です。この望みこそ、神聖な幕の内側(天にある神の住まい)におられる神と私たちを結び合わせるものです。

20 キリストは、私たちに先立ってそこに入られました。そこで、メルキゼデクの位を持つ大祭司として、私たちのためにとりなしていてくださるのです。

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へブル人への手紙 7

イエスは永遠の大祭司

1 メルキゼデクは、サレムの町の王で、非常に高貴な神の祭司でした。アブラハムが多くの王たちとの戦いに勝って凱旋した時、メルキゼデクは出迎えて祝福しました(創世14・18-20)。

2 その時アブラハムは、戦利品の十分の一をメルキゼデクに差し出しました。メルキゼデクという名前の意味は「正義」であり、サレムという町の名は「平和」を意味していました。ですから、彼は正義の王であり、平和の王です。

3 メルキゼデクには父も母もなく、先祖の記録もありません。また誕生も死もなく、そのいのちは神の子のいのちに似ています。それゆえ、彼は永遠に祭司なのです。

4 メルキゼデクがどんなに偉大な人物であるか、考えてみましょう。神がお選びになった人の中で最も尊敬されていたアブラハムでさえ、メルキゼデクには、王たちからの戦利品の十分の一をささげました。

5 メルキゼデクがユダヤ人の祭司であったなら、アブラハムのこの行為もうなずけます。後に神の民は、血のつながった部族(レビ族)である祭司のために献金することを、律法によって義務づけられたからです。

6 ところが、メルキゼデクはアブラハムの一族ではないのに、アブラハムからささげ物を受け、アブラハムを祝福しました。

7 言うまでもなく、祝福を与える人は、祝福を受ける人よりも偉大なはずです。

8 またユダヤ人の祭司たちは、やがては死ぬべき人間であるにもかかわらず十分の一のささげ物を受けましたが、メルキゼデクは、永遠に生きていると言われています。

9 さらに、十分の一を受けるユダヤ人の祭司の先祖であるレビ自身も、アブラハムを通してメルキゼデクに十分の一をささげたと言えるでしょう。

10 なぜなら、レビはまだ生まれてはいませんでしたが、メルキゼデクに十分の一をささげた、アブラハムの直系の子孫だからです。

11 もし、ユダヤ人の祭司と律法に私たちを救う力があるとしたら、なぜ神は、あえてアロンの位に等しい祭司〔ユダヤ人の祭司はすべてアロンの位を受け継いでいる〕ではなく、メルキゼデクの位に等しい祭司であるキリストをお立てになったのでしょうか。

12-14 新しい家系の祭司が立てられる時、それを受け入れるために、律法も改められなければなりません。キリストがレビ族とは別の部族であり、モーセが祭司として任命したこともないユダ族の出身であったことは、周知の事実です。

15 そういうわけで、私たちは、これまでの神の秩序に大きな変更があったことを認めざるをえません。キリストが、メルキゼデクの位に等しい、新しい大祭司として立てられたからです。

16 この新しい大祭司は、古い律法に属するレビ族からではなく、尽きることのない、いのちからほとばしる力を基として立てられたのです。

17 詩篇の作者は、はっきりキリストのことを指して、「あなたは、永遠にメルキゼデクの位に等しい祭司です」(詩篇110・4)と証言しています。

18 家系を重んじる古い祭司職の制度は廃止されました。それは人々を救う力のない無益な制度でした。

19 だれも、祭司によっては神との正しい関係を結べなかったのです。しかし、今は違います。私たちは、もっとすぐれた希望を与えられています。キリストによって神に受け入れられた私たちは、神に近づくことができるのです。

20 神は誓いをもって、キリストを永遠の大祭司としてお立てになりました。

21 かつて祭司たちを立てるのに、神が誓われたことはありません。しかしキリストに対してだけは、「主は、立てた誓いを変えることは決してない。あなたは、永遠にメルキゼデクの位に等しい祭司である」と誓われたのです。

22 この誓いのゆえに、キリストは、新しく、かつすぐれた約束が確かであることをいつまでも保証してくださるのです。

23 古い契約のもとでは、大ぜいの祭司が必要でした。祭司が年老いて死ぬと、跡継ぎを立てて祭司を絶やさないようにしました。

24 しかし、キリストは永遠に存在されるので、いつまでも祭司です。

25 また、ご自分を通して神のもとに来る人々を、完全に救うことがおできになります。永遠に生きておられるキリストは、いつも神のそばで、ご自分の血によって彼らの罪が帳消しになるようにとりなしていてくださるのです。

26 このような大祭司こそ、私たちが必要としていた方です。この方はきよく、少しの欠点も罪のしみもなく、罪人によって汚されることもありません。

27 古い大祭司は、神の前に出る時、まず自分の罪をきよめるために、そして人々の罪のために毎日、動物のいけにえの血をささげる必要がありました。しかしキリストには、その必要が全くありません。なぜなら、主ご自身が十字架にかかってご自分をいけにえとしてささげ、ただその一度の行為で、すべてを成し遂げてしまわれたからです。

28 古い祭司制度のもとでは、彼らは大祭司であっても、自らを悪から守ることのできない罪ある弱い人間でした。しかし後に、神は誓いをもって、ご自分の御子という完全なお方を、永遠の大祭司に任命されたのです。

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へブル人への手紙

へブル人への手紙 8

キリストがささげるいけにえ

1 以上述べてきたことを要約すると、次のようになります。私たちの大祭司はキリストであり、現在、天において神の右の座についておられます。

2 このお方は、人間の手によらず、主によって建てられた天の神殿で祭司の仕事をしておられます。

3 大祭司の務めは、供え物といけにえとをささげることです。ですからキリストも、その務めをなさいます。

4 この方のいけにえは、地上の祭司たちがささげるいけにえよりはるかにまさっています。〔しかし、もしキリストが今なお地上におられるとしたら、決して祭司にはなられなかったでしょう。この地上には、ユダヤ人の古いいけにえの制度を守る祭司がいるからです。〕

5 地上の祭司が奉仕をする神殿は、天にある本物の神殿をまねて造ったものにすぎません。幕屋(イスラエルの民が荒野で神を礼拝した聖所)を建てようとしたモーセは、シナイ山で神から指示を受け、天にある幕屋の型に寸分たがわないものを造るようにと命じられたのです。

6 しかし今、キリストは天における祭司として、古い契約に従っている祭司たちより、はるかに重要な任務をゆだねられています。キリストが私たちに伝えてくださる神の新しい契約には、さらにすばらしい約束が含まれているのです。

7 古い契約はもはや無効になりました。もし効力があれば、別の新しい契約を立てる必要はなかったでしょう。

8 しかし神は、古い契約の欠陥を指摘して、次のように言われました。「わたしが、イスラエルやユダの民と新しい契約を結ぶ日が来る。

9 この契約は、彼らの先祖の手を引いて、エジプトの地から導き出した日に与えた古い契約とは異なるものである。彼らはそれを守らなかったので、わたしは無効にしなければならなかった。

10 ここにわたしは、イスラエルの民と新しい契約を結ぶ。わたしはこの律法を彼らの心に刻む。そうすれば、何も言わなくても、彼らに、わたしの思いがはっきりわかるようになる。心の中に律法があるので、彼らは喜んで従うようになるだろう。こうして、わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。

11 その日にはだれも、友人や隣人、兄弟に向かって、『あなたも、主を知りなさい』と言う必要がなくなる。なぜなら、どんな人でも、わたしを知るようになるからだ。

12 わたしは彼らの悪い行いに対してあわれみを示し、その罪を二度と思い出さない。」(エレミヤ31・31-34)

規則にすぎない古い制度

13 神は、古い契約に代わる新しい契約について語っておられるのです。古いものは過去のものとなり、消え去っていきます。

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へブル人への手紙

へブル人への手紙 9

1-2 ところで、神と人間との間に交わされた最初の契約にも、礼拝についての規定があり、そのために建てられた神聖な幕屋がありました。この幕屋には二つの部屋があり、第一の部屋は聖所と呼ばれ、金の燭台と、特別なきよいパンとそれを載せる机が置いてありました。

3 聖所の奥に、幕で仕切られた第二の部屋があって、至聖所と呼ばれていました。

4 至聖所には、金の香壇と、全面を純金でおおわれた契約の箱がありました。その箱には、「十戒」を記した二枚の石の板、マナを入れた金のつぼ、芽を出したアロンの杖が納めてあったのです。

5 箱の上にはケルビム〔神の栄光の守護者たち〕と呼ばれる天使の像があって、黄金のふたをおおうように、大きな翼を広げていました。このふたは「恵みの座」と呼ばれます。しかし、これ以上くわしく述べる必要はないでしょう。

6 さて、これらが全部ととのえられた上で、祭司は第一の部屋に出入りして、務めを果たしました。

7 ただし、奥の第二の部屋には、大祭司だけが年に一度だけ、一人で入って行きました。そのとき彼は、血を携えて行かなければなりません。その血は、彼と民全体があやまって犯した罪をきよめるための供え物として、「恵みの座」にふりかけられました。

8 聖霊はこのことを通して、次のことを教えています。古い制度のもとで、第一の部屋と、それに代表される儀式があるかぎり、第二の部屋である至聖所に入る道はまだ閉ざされているということです。

9 幕屋は一つのたとえなのです。つまり、古い制度のもとでは、供え物といけにえが幾度ささげられても、それを携えて来る人たちの心まできよめることはできないのです。

10 古い制度は、もっとすぐれた新しい制度が用意されるまで課せられた、飲み食いや体の洗いきよめなどの体に関する規定にすぎません。

11 キリストは、すでに私たちのものとなった、すぐれた制度の大祭司として来られました。そして、人間やこの世の手を借りる必要のない、さらに偉大で完全な、天の幕屋に入られました。

12 しかも、ただ一度、血を携えて至聖所に入り、それを「恵みの座」にふりかけました。それはやぎや子牛の血ではなく、ご自分の血でした。キリストは自らそうすることによって、私たちの永遠の救いとなる贖い(身代わりによって罪を赦し、救い出すこと)を成し遂げられたのです。

心と生活を変える新しい制度

13 古い制度のもとで、雄牛ややぎの血、あるいは若い雌牛の灰が、人々の体を罪からきよめることができるとすれば、

14 ましてキリストの血は、どれほど確実に私たちの心と生活を変えることでしょう。キリストご自身のささげられた血は、古い規則に縛られる悩みから私たちを解放し、生ける神にお仕えしたい気持ちに駆り立てるのです。それは、一つの罪も欠点もない完全なお方が、聖霊の助けによってご自分を喜んで神にささげ、私たちの罪のために死んでくださったからです。

15 キリストは、この新しい契約を携えて来られました。それで、神に招かれる人はみな、約束されたすばらしい祝福にいつまでもあずかることができるのです。なぜなら、古い制度のもとで犯した罪の刑罰から救い出すために、キリストは死んでくださったからです。

16 たとえば、ある人が財産の相続人を指定し、遺言状を残して死んだとします。しかし、その被相続人の死が証明されなければ、だれもその財産に手をつけられません。

17 遺言は、被相続人の死後、初めて有効になるのです。その人が生きている間は、いくらそれが自分に関するものでも、どうすることもできません。

18 そういうわけで最初の契約も、効力を発揮するために、死の証拠として血がふりかけられなければなりませんでした。

19 モーセは、民にすべての律法を語ってから、水と共に子牛とやぎの血を取り、ヒソプの枝と紅色の羊毛とにつけて、律法の書と民全体にふりかけました。

20 そして、厳かに宣言しました。「この血は、神とあなたがたとの契約が効力を発したしるしだ。この契約は、神が私に命じて、あなたがたとの間に立てられたものだ。」

21 またモーセは、幕屋にも、礼拝用のすべての器具にも、同じように血をふりかけました。

22 古い契約のもとで、すべてのものは、血をふりかけることによってきよめられたと言えます。血を流すことなしに、罪の赦しはないのです。

23 それで、天上のものにかたどって造られた地上の幕屋とその中のすべてのものは、このように動物の血をふりかけることによって、きよめられる必要がありました。しかし、天にある本物の幕屋は、はるかにすぐれたいけにえによってきよめられなければなりませんでした。

24 キリストは、天にあるものの模型にすぎない、地上の神殿に入られたのではありません。天そのものに入られ、今は、私たちの友として神の前に出られたのです。

25 しかも、地上の大祭司が毎年きまって動物の血を至聖所にささげたように、ご自分を何度もささげるようなことはなさいませんでした。

26 もしそうであれば、世の初めから、何度も死ななければならなかったでしょう。キリストは、この時代の終わりに、死によって罪の力を永遠に無効とするために、ただ一度おいでになったのです。

27 人間には、一度だけ死んで、その後さばきを受けることが定められているように、

28 キリストも、多くの人の罪のためにご自身をささげて、一度だけ死なれました。そして、もう一度おいでになりますが、今度は罪を取り除くためではありません。その時は、彼を待ち望んでいるすべての人の救いを完成させるために来られるのです。

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